今回も引き続き「イギリス道路行政史」(武藤博己著、1995年10月 東京大学出版会)から。
 道路監督官は一般の市民から選任されていたので、当然ながら、教区民に作業を行わせるに足る指導力、技術力があるとは言い切れず、必ずしも適切な業務執行がされていなかったようです。武藤氏は「1555年道路法体制の実態は、表面上の法の厳格性に反し、細部において重大な執行上の欠陥を内在させており、それを補うべき行政上の技術が工学的技術とともに、道路管理の当事者である道路監督官および治安判事に欠如していたため、法の期待した効果が得られなかった,と要約できよう」(P39)としています。
 また、賦役を課される教区民にとっても負担が大きいので、賦役に参加しない教区民には当初は罰金を課していましたが、次第に参加しない教区民が増加し、「代替金」を経て、「1654年に至って、一つの法律(An Ordinance for Better Amending and Keeping in Repair the Common Highwaies within this Notion)が議会を通過した。この法は、問題となっていた道路監督官の選任を全教区に義務づけ、さらに道路修繕を目的とする(所有財産)1ポンドにつき1シリングを超えない範囲での課税権限を教区会に与えた」(P43)とのことです。これらの資金は1691年時点では「教区内に必要な資材が存在せず、他の方法ではその資材が得られない場合に、道路監督官に資材購入権限が与えられたが、その資材購入資金」(P44)として充てられていたとされています。

 今までのところをふり返りますと、もともと沿道住民への賦役が主で賦役を行わないものに罰金を課していたものが、賦役に応じない住民が増えて罰金ではなく代替金になり、さらに徴収の容易さや公平性から教区民への目的税になったということでしょうか。(板)