先日は大昔ローマ時代の道路管理について塩野七生さんの「ローマ人の物語」から引用させていただきましたが、今回は中世、16世紀のイギリスの話。
 「ローマ人の物語」で塩野さんが「街路監督官」と訳していたので、どこかで似た名前があったな…と思って探したら「道路監督官」という名前で「イギリス道路行政史」(武藤博己著、1995年10月 東京大学出版会)に出ていました。(といっても私の頭の中で日本語の「監督官」つながりで連想されただけで、ローマ時代の「街路監督官」とは制度が違いますし、英語ではthe Surveyor of the Highwaysです。)
以下はほとんどが「イギリス道路行政史」に拠っています。
 イギリスでは昔は荘園領主が所有地内の道路の管理を行ってきましたが、基本的には実質的な管理作業を荘園内居住者に賦課してきました。しかし、居住者への賦課による管理では、通れさえすればいい最低限を維持するに留まっていました。これに対して、一部地域では修道院や都市ギルドによる管理や通行税徴収による管理が行われており、比較的良好な管理を行っていたということです。
 その後、16世紀にイングランド国教会が成立する過程にあった1555年に道路法が制定され、従来の荘園に代わり教会の教区が道路の管理をすることとなりました。この法律の基本的要素は「①教区に対する一般的道路管理義務の賦課,②教区民の法的強制労働による道路の修繕作業,③教区民の中から選任された道路監督官による修繕作業の監督,④当該教区を管轄する治安判事による教区道路行政の監督,の4点に要約できる」(P25)とのことで、ここに「道路監督官」という言葉が出てきます。また、この時点では教区民が道路の修繕(年に1度連続4日間)を負わされていたことになります。
 この道路監督官は教区民の中から1年単位の任期で選任されていましたが、業務量が多く、かつ、責任も重大であるためなり手がおらず、輪番制(対象者は必ずしも教区民全員とは限らない)になっていたようです。何だか自治会の役員みたいですね…というか、教会の教区毎に決めているのですから、日本の自治会のもう少ししっかりしたようなものだったのでしょうか。
 ちなみに、道路監督官の置かれていた「教区」の大きさはさまざまだったようで、「イングランドでは人口が10人以下の教区が54あり、逆に5万人以上の教区が10存在したという(Keith-Lucas,1980,p.76).」(武藤 博己 1995年『イギリス道路行政史』東京大学出版会.p26:孫引きです)(板)