そういえば「ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず」(新潮文庫版 第27巻)の中で塩野七生さんがローマの道路を当時のローマ人は(一)公道(二)軍道(三)支線(四)私道の四つに分類して認識しているとし、「公道」については以下のように記述しています。

「(一)公道(viae publicae)―-敷設工事は国家が、そしてそれ以後のメンテナンスは、
皇帝直属の国家公務員である「街道監督官」(curator viarum)が担当する。」(P153)

curatorは今では美術館の学芸員、キュレーターの意味ですが、「気遣いをする人」と言った意味でcureから来ており、cureは治療、世話という意味のようです。監督官というと何だか現場の親玉みたいですが、キュレーターだったんですね。
一方、「私道」については以下のように記述しています。

「(四)私道(viae private)―-敷設、メンテナンスともに、土地の所有者が責任をもつ。た
だし、所有者以外の人々の通行も当然と見なされていたので、屋敷までの道というより、
誰それが所有する土地内の道、と考えるべき道路。」(P154)

 そして、ローマ時代の道の延長約30万キロのうち、「公道」が8万キロ、「私道」が15万キロと推計されているそうです。
 ということは、ローマ時代には公に通行可能な道のうち約半分が個人によって敷設、維持管理され、公の交通に供されていたことになります。(板)